紀元前4万年前 旧石器時代 セルビアの地に初めて人類の集落の跡
紀元前6500-5500年前 中石器時代 ジェルダップ峡谷のレペンスキ・ビール文化
紀元前4500-3200年前 新石器時代初期 ベオグラード近くのビンチャ文化
紀元前1000-100年前 鉄器時代 歴史的に認められた最初の部族の出現
3-4世紀 現在のセルビアの地に何人かのローマ皇帝が誕生
395 ローマ帝国が分裂し、セルビアは東ローマ帝国の一部となる。
6世紀 ドナウ河地方のスラブ人がバルカン半島に入植する。
7世紀 スラブ人がキリスト教を受け入れる。
830-851 セルビア最古の王朝の創始者ブラスティミル公が治める。
878 ベオグラードの名前が初めてスラブ語で現れる。
1054 東西教会の分裂後、セルビアは東方教会の一部となる。
1166-1196 ネマニッチ朝の創始者ステファン・ネマニャ大族長がビザンチン帝国と戦い、アドリア海沿岸からモラバ地方とシャラ山脈までの土地を治める。
1180 セルビア語で書かれたもっとも重要で美しい福音書が成立。
1217 ステファンがローマ法王から王冠を戴き、ステファン戴冠王と呼ばれる。セルビアは王国となる。
1243-1276 ステファン・ウロシュ1世王がフランスのアンジュー家のヘレンと結婚する。
1285 モンゴル人がセルビアを攻撃する。
1331-1335 ドゥシャン王がベルブジャドの戦いでブルガリアを破り北部を征服し、ドゥシャン法典を発布する。
1355-1371 ウロシュ・ネヤキ(弱者の意)王は分裂したセルビア貴族の支配権を確立できない。セルビア帝国落日の前兆。
1377 ボスニアのバン(王の意)・トゥブルトコ1世(ネマニッチ朝の子孫)がミレシェバ修道院でセルビアとボスニアの王として戴冠する。
1389-1427 ラザール公の子のステファン・ラザレビッチが1402年から専王(Despot)となる。
1427-1456 ステファン・ラザレビッ専王の甥のジュラジ・ブランコビッチ専王の時代。
1439-1455 トルコがセルビアの大部分を占領する。
1521 ハンガリーに占領されていたベオグラードがトルコの統治下となる。
1683-1699 オーストリアとトルコの間の神聖同盟戦争。
1717 ハプスブルグ軍の司令官サボイ公オイゲンがベオグラードでトルコ軍を破り、南部地方を含めてセルビアを征服する。
1751-1753 トルコ支配下のセルビア人がロシアに大量に移住する。一方、ハプスブルグ帝国各地からボイボディナに移住が進み、多民族化が始まる。
1806 カラジョルジェがベオグラードを解放し、ベオグラードが再びセルビアの首都となる。
1815 ミロシュ・オブレノビッチに率いられてトルコに対する第2回蜂起が起きる。
1830-1833 トルコから自治権を獲得し、ミロシュ・オブレノビッチ公が元首となる。
1839-1842 ミハイロ・オブレノビッチ公による統治の時代
1876-1878 セルビア・トルコ戦争、この戦争で東南セルビア、ニシュ、ブラーニェが解放される。
1882 セルビア公国が王国を宣言する。
1893 電灯がベオグラードに導入される。翌年、路面電車が走る。
1913 第二次バルカン戦争、セルビアはブルガリアを破る。
1918-1929 セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の時代。
1934 アレクサンダル・カラジョルジェビッチ王がフランス訪問中にマルセイユで暗殺される。
1941-1945 ドイツと周辺国がユーゴスラビアを占領する。
1945 君主制は廃止され、ユーゴスラビア共産党の指導のもとにユーゴスラビア連邦人民共和国が宣言される。
1948 コミンフォルム成立後、ティトーとスターリンの間に意見の相違が起きる。
1961 最初の非同盟諸国会議がベオグラードで開催される。
1963 新憲法の下で国名をユーゴスラビア社会主義連邦共和国に変更する。
1991-1995 ユーゴスラビア紛争、ユーゴスラビアの解体。
1999 NATO空軍がコソボ・メトヒアのアルバニア人分離主義者を支援するために、旧ユーゴスラビア各地を3か月間空爆する。多くの市民が空爆の犠牲になる。コソボ・メトヒアは国連の保護下に入る。約30万人のセルビア人がコソボ・メトヒアから避難する。
2001 セルビアが初めて民主政府を樹立する。
2003 3月12日セルビアのジンジッチ首相が暗殺される。
2009 正式にEUへの加盟を申請する。